実は、昨年末から以前の職場でお世話になっていた先生からご依頼をいただき、学校現場に少しだけ復帰しています。
今日は、久しぶりに同じ時間帯で体育の授業が他の先生と被った中で、ひさしぶりに感じた感覚について書きたいと思います。
それは、学校の先生、特に小学校現場は、その教科の専科ではない先生が行う教科がほとんどだということです。
私も体育が専門ではありますが、もっと細分化すれば、種目は未経験のものも多いです。
音楽は、ほとんど素人。でも、先生なのです。
そして、そのすべてを評価するのが、学校の先生となります。
勉強のように、テストで数値ができるものは、わかりやすいです。評価する側は。ただし、思考の部分を評価するのは、簡単ではありません。そして、評価することが仕事であってはいけないと思います。
本質は、子どもの可能性を伸ばすことに注力すること。
しかし、子どもに関わる保護者のみなさまのニーズは、どうでしょうか?
学校で、いい評価・点数をとれるようにするために、習い事がある方が多いような気がします。
本当にいい指導者は、逆算から指導を組み立てています。その子の、現状を把握し、その子にとって最適な方法を選択していく。また、そういう雰囲気や集団をつくっていきます。
学校のというのは、本当に多くを求められます。
文武両道。
大人の求める子どもへの理想と子どもたちが生きている現実世界とこれからの未来を考えて、共に、これから先の時間を進んでいかないと、みんなと同じだから、あなたもという理屈ではあまりにかみ合っていないと感じてしまいます。
私たちの創造をはるかに超えていける可能性が子どもたちには、あると私は信じています。そういう変化や自らやるぞとスイッチが入った瞬間に立ち会えるのも指導者の楽しさだと感じています。それは、何もサッカーだけではありません。勉強でも自分も趣味でもなんでもそうでしょう。
改めて、体育という教科の学校におけるその日、一日の役割、そして、先を見据えた役割などが見えた気が時間でした。
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